昭和四十八年七月二十四日 御理解第五十四節
「徳のない間は心配する。神徳を受ければ心配はない。」
神徳を受けると云う神様のお働き。そのお働きが私共の上にどういう風に表れて來るかと云うと、氏子信心しておかげを受けて呉れよと云うその願いより外にない。
氏子信心しておかげを受けて呉れよ、いわゆる神の思い、親の思い以外にはない。いわゆる神愛より外にない。此処のところの根本的なところが分からせて頂いて様々な問題から、成程そうだな、そうだなと体験させて貰うところから心配がなくなる。
神様のお働きの中には、もう氏子可愛いと云う、氏子信心しておかげを受けて呉れよと云うそういう願いより外にないのです。
ですからそういう、ああそうかなと分かっただけではなくて、日々の信心生活信心の稽古の中から、成程神様のお働きの中には氏子信心しておかげを受けて呉れよと云う願いだけしかないんだなあと云うことになるのです。それが体験を積むと云うことはその事ですから、どういう事が起きてきても、信心しておかげを受けて行けれるんだと、どういう事が起きて来てもそれはおかげの基にしかならないんだと、体験からも積んだ上にも積んで確信が生まれて來る。 だから私は神徳とはそういう根本的なところを分からせて貰うてそれを実証して行く日々。成程神様のお働き、そのお働きは氏子信心しておかげを受けて呉れよと云う、その思いだけしかない。
だから、信心しなかったらそれは難儀なことは難儀なことであろう、困った事は困ったことである。
この世はやはり苦に満ちたものであり、この世は苦の世だ、苦の世界と云うことになるのだ。ですから根本的なところ、ここだけはですから、話を聞けば分かる、神様天地の親神様の働きの中には、例えば叩かれるような事もあるけれども、憎くてこの手が当てられようかと云うのが神様の働きです。
神様は氏子信心しておかげを受けて呉れよと、どういう心配なことがあっても、只心配のことがあるおかげで神様信心が出来ますと云うことになるのです。
心配する心で信心せよ。心配があるおかげで神様信心が出来ますとそれを繰り返して行きよる内に、成程本当は心配することではないのだけれども、信薄きために体験が乏しい為に心配しておるんだと云う自分の信心の段階と云うものを知ることが出来る訳です。 信心の自分の段階と云うもの、私は信心をいよいよ進めて行く。 昨日、月次祭の後の御説教を若先生が承っております。私がおかげを頂こうと思うて、お願いさせて貰いましたら、若先生が教衣を着けておるところを頂いた。教衣と云うものはお説教する時に大体は着る装束なんです。しかもやはり若先生の教衣を頂いたと云うことは、もう教える衣と書いてありますから、たまにはお説教のおかげを頂かして貰わねばいけないなと云うことだと思いましたから、昨日は咄嗟でしたけれども、あの人にお説教して貰いました。
そしてお話を聞かせて頂きながら有難いなと思わせて終始聞かせて頂いたんですけれども、あの人は仲々人が云うたからと云うて動く人じゃない。ですから、これは私は子供に対する信心の教育と云うものは、親はもうして見せて居ればよいんだと、信心とはこんなもんだとして見せて居ればいい、それを見習い聞き習いして覚えておるんだと。
大体何の稽古でもそうです。もうそれこそ手取り足を取りして教える教え方は本当じゃないです。もうお芝居なんかは師匠なら師匠、その先輩のちゃっと見ておってから体得するのです。基本だけ出来たら、それでなければ嘘です。信心でもそうです。ならここで修行しとる方達でもそうです。手を取り足を取り、只私の信心をいわゆる見習い聞き習いさして貰う以外にないです。
だから私は、これは私のいわば出来るだけの信心と云うものを見せておかねばならない。聞かせておかねばならない。そして、何か本人がああ、これではならないと何かに直面した時そこから本当の信心が育って來る。
自分でも云って居ります様に、僕は満三十歳になったら本気で信心さして貰おうとこう思いよった。ところがたまたま子供が病気をして本当に咳をして胆が詰まった時には、一時仮死状態の様になってしまうのですよね。ですから親として、もうあの良子さんなんかはもう、「聡子ちゃん、聡子ちゃん、聡子ちゃん」で、もう止まったときにはもう云っているんですよ。
あれば金光様、金光様と云えば良いけど、聡子ちゃん、聡子ちゃんではいかんと思うんですけど、これは段階ですからね。
そこで親として子供の苦しむ姿を見て、これに依って自分の信心を分からせて貰う、又進めさせて貰おうと思うたら、家内に若先生が云っておることは、これは私とあんたの子供なんだけれども、云うならばけれどもこの子どもは私に呉れと、もう死ぬ生きるは神様に任せて今後の私の信心は聡子の病気にかける。だから私の信心の不行届きになれば、例えばひょっとすると死ぬるかも知れん。
咽に胆が詰まっとるとば、ちょっとつついたら本なごて仕舞えて仕舞うだろうと思うですね。やはり「えへん」と云うて出す力が無い訳ですよ。しかもそれが、毎晩毎日それが続いとるのですから、それで親として一生懸命ならざるを得なくなってきた。そしてなら、御信者さんの子供さん達の病気と云ったこと、特に福岡の北恵子さんの子供の安代さんの、もう本当にああ云う重態の状態にある、その事が親の思いと云うものが分かった。だから聡子の事を願うと同じ様な思いで安代さんのことを親の思いで段々願える様になって来たと云う意味の事を話とります。そして満三十歳にはここ一年あるわけですけど、おかげで二十九歳から一年自分の思いよりも早く本気で信心にならせて貰う気になったと云うこと。
私それを聞かせて頂ながら本当に有難いと思うた。信心はした信心では駄目。自分がする信心ではおかげではなしと、四神様は仰っとります。信心は神がさすと仰る。だからさせて頂く信心でなからなければつまりません。
この頃も唐津の寺井先生の御伝記の様なものをパンフレットの題に、信心は神がさすと云う、そういう意味に書いてありました。
信心は自分がするのじゃありません。神様がさせなさるとです。神様がさすと云う、神様がさせて下さる信心でないと本当な信心にはなりません。如何にも自分でしとる様であるけれども、神様が求めなさる、いわゆる心配、子供なら子供を通して親に信心を求め給う、信心をさせなさるのである。その信心のそれは段階ですけども、これは私の実感ですけれどもね。
私の子供と御信者さんの子供が同じ病気をして、どちらが助からんと云うなら私はもう絶対自分の子供を犠牲にするでしょうね。
これはもう、半年前からもう自分ではあ信心の気持ちと云うものは飛躍するもんじゃあるなあとこう思います。
なら、若先生の場合はそうじゃないでしょう。初めて自分の子供が生きるか死ぬかの通って初めて子供の事を祈る。いや子供の事を通して信心を分からせて頂いておるのです。信心の過程です。
昨日の朝の御理解の中にも、松竹梅の御理解を申しました。あれは歌舞伎芝居の天神記と云う、いわゆる菅函相、いわゆる菅原道真公のお芝居なんです。三人の三ツ児がおります。梅王丸、松王丸、桜丸。その子供達がそれぞれ敵見方になってその主人が違う訳です。いわゆる菅原道真公とは全然仇役の方の家来になっているのが松王丸です。
梅は飛び桜は枯れる世の中に、何とて松はつれなからん。
これはお芝居の中の科白です。また天神記の寺小屋のところで松王丸はつれないつれないと世上の人の言の葉にと云うところがありますね。松はつれないつれないと云うことは、松王丸はどうした冷たい男であろうかと世間の者は云うておるけれども、自分の本当の心を皆が分かっていないんだと云うこと。自分は敵方のように、敵方の家来になっておるけれども、いよいよの時はです、いよいよの時は自分の主人が筋であるところの菅函相、菅原道真公のお家のためにも働かせて頂こうと云うそのためには自分が敵方の方に居らねばならぬ。その為には、云うならば冷たい素振りもせなければならんと云う科白なんです。
松はつれないと世上の人の言の葉にと、そういうけれども、いよいよ菅函相の息子を首にせねばならぬと云う役目のなった時に自分の子供を身代りに立てて、菅函相の息子を助けるとこう云う菅秀方丸を助ける。菅秀方丸を助けて自分の子供を殺して、だからこれはね、いわゆる信心がです、今日私が申します神様の働きと云うものがです、どういう難儀な問題心配の事のように見えてもです、それは神様の心の視と云うのは、只氏子信心しておかげを受けて呉れよ、信心して徳を受けて呉れよ以外にはないのです。
それを例えば、一番可愛いと云うのは子供でしょう。その子供でも神様も前になら犠牲にしようと云うその精神にお徳が受けられない筈がない訳です。
そういうところからです、幹三郎が生きるか死ぬかの時です、これはもう、例えば皆さんも雰囲気からも感じて下さったと思うのですけれども、本当に親先生はどうした冷たいお方じゃろうかと思うた人もあろうと思うた位です。それは決して冷たいのじゃない、親の思いが分かるから神様の願いが分かるから出来ることであります。
だから、信心の過程、例えば神徳を受ければ心配はないと仰せられるがです、私共が徳を積む、只今申しますように神様の根本的なところは、神様の願いと云うのは、氏子信心して徳を受けて呉れよ、おかげを受けて呉れよなのですから、その子供なら子供、病気なら病気を通してです、おかげで信心が出来ます、神様がさせて下さる信心だと云うことになるのです。
そしてそれを体験させて頂いてです、それを成程おかげになった時です、本当に今度の事で一信心さして貰うた一徳受けたと云うことになるのです。
それを積み重ねて行っておる内に、成程神様のなさることに無駄はない。叩かれるときには痛いけれども、憎うて叩きなさるのではないという神愛が分からせて貰うことが出来る。そこを真から根から分かったときが私はお徳だとこう思う。
神様を信じて疑わない。だから神様もまあ氏子を信じて疑いなさらん。そこに心配はないと云うこと。
私共の場合は心配ばっかりなんです。けどもその心配が去年心配しておったこ事を今年も心配するようなことでは、だから一つも信心が進んでいないと云うことになるのです。去年心配しておった様なことには、もうお礼が申し上げられる。けど、また新たな問題に取り組んだときにです、それが不安でたまらん、心配でたまらん。だから一生懸命の修行にもなると云うことになるのです。そして初めて成程信心は自分でするのじゃない、神様がこう云う難儀、こういう心配を通してさせて下さるんだなあと云うことが分かる。そこでそういう難儀、そういう心配の時にです、信心にならずに只心配だけに打ち込んで行って神様に縋っていかなかったらです、これはどういう事になりますか。おかげにもならない、徳にもならない、力にもならない。そういう信心を堂々回りの信心。同じ様な事柄に何時も心配しとると云うことになるのです。
梅、松、桜ではありませんけれども、これは桜の信心で、こげんときは行かなきゃいけないと本気で信心辛抱をもう一押しもう一押しと云う辛抱して行くと云う信心。又この問題は、この場合は一ついさぎよい信心で桜の花の散際の素晴らしい様に、ああ云ういさぎよい信心をさして頂いて・・
昨日、或方がお届しとります。御主人が大変悪いときに、お父さんひとつすっきりと親先生のお話を頂いた時に、福岡の吉木先生がいよいよもうむつかしいと云うときに、自分の持って居る全財産を親教会と御本部に上げて願われたげなら、不思議に助かられたと云う話を聞いた事があるが、お父さんいっちょ本気でその気になって見らんですかと云うて、云うたけれども主人がそれを分かりませんでしたと云うことをお届けしとります。そういうところ、はあこういうところはひとついさぎよい信心で行かねばならないと云うときには、そうい信心もあるわけです。
ここはひとつ松の信心で、昨日はその松の信心を大きな信心を聞いて頂きましたですね。木偏に公と云う字、今日はそこんところを松の信心と云うのはつれないと云う意味で聞いて頂いた。
松はつれないつれないと、もう本当に第三者から見た場合は、この人は血も涙も無かっちゃろうかと云われる位冷淡にしておられる。ああ先生どうしましょうかと云うと、先生は手を叩いて喜びござる。もう本当にそうい時があります。そのつれなくしておられるその冷たくつれなくしておられるその根本と云うところにはです、自分の子供を犠牲にしても、いよいよの時には犠牲にしてもよいと云う腹があるから冷たくしておれるんだ。只冷たいのとは違うと云うことなんです。
徳の無い間は心配をする。心配があるなら自分が徳が無いことを知らなければなりませんけれども、又自分もそれに依って、ああ自分もその程度のお徳を受けておるなと云うことは、例えば去年ならばこれは心配で不安でたまらなかったろうけれども、信心を進めて行っとる内に今年はそのことに対して御礼の云えれると云うときには、それだけの徳は受けたことになる。けど又新たな問題に取り組ませて貰うと、それよりもっと大きな問題に取り組ませて貰うとその大きなだけが心配になる。そこでその大きなところだけを心配になりますから、信心をして行くところからです、それも又自分のものになる。自分の知恵に力に、血になり肉になることを云うのである。そういう繰り返しなんである。
信心とは、そこでです、この世は苦の世でも苦の世界でもない。あるものは神愛が満ち溢れたこの世であると云うこと。難儀の様に見えるのはそれは私共の錯覚であって迷いである。本当の事が分かったら御礼を申し上げること以外にないのだ。とこれは日々の体験からそれを積み上げて行くというのです。
だから、御神徳と云うのはこれだけではない。限りが無い。だから信心は楽しいのである。限りない御神徳の世界に、又は御神徳を受けて行くと云う、そういう世界に住まわせて頂くと云うことがです、有難いのです。信心の私は有難さと云うものはそこにあるのだ。
昨日私は若先生の御説教を聞かせて貰いながら、それをそう思う訳です。成程三十歳から本気でやろう、もし三十歳から本気でやっとったらどういうことになったでしょうか。それは若先生の我で信心したと若先生の思いで信心したと云うことになるのではないでしょうか、ね。三十歳からやろう、ところが偶然子供の病気と云うことに依ってそれにせき立てられる様にして打ち込んでいわば、信心さして頂いた。そして分からせられることは、はあさせられたおる信心だなと云うことが分かる。する信心におかげはなし、させて頂くと云う信心におかげがあると仰せられるのですからね。 どうぞ。